
2月末から3月にかけて,サンボー・プレイ・クック遺跡群の都城地区の中央に位置するM90と番付されたマウンドにおいて発掘調査を行いました。このマウンドは,南北に約80m,東西に30m,高さ約3mと,都城内ではひときわ大きな規模を有するもので,重要な施設であったことがうかがわれます。
約2週間の調査を無事に終えました。


マウンド内にはラテライトと煉瓦よりなる遺構が良好な状態で残されていることが確認されました。マウンドの規模に対して,調査ができた範囲は限られてるため,その全体像は定かではありませんが,高さ2m程のラテライトの擁壁に囲まれた南北に長い方形遺構がまずあり,一度この遺構が放棄された後に,この上面に新たに煉瓦遺構,あるいは煉瓦を基礎とした木造遺構が造られたようです。
遺構の基礎内部や周辺からは多数の土器が出土し,多くはプレ・アンコール期の特徴を良く示すものであったため,この遺跡群の最盛期とされる7世紀の利用の痕跡が認められたものと考えられます。
カンボジアの3,4月は大変な暑さでしたが,約25名の住民参加とプノンペンからの大学生,そして日本人学生等も含めた約35名で充実した成果があげられたと思います。



遺構の全容解明のために,今後のさらなる調査を予定しています。
約2週間の調査を無事に終えました。


マウンド内にはラテライトと煉瓦よりなる遺構が良好な状態で残されていることが確認されました。マウンドの規模に対して,調査ができた範囲は限られてるため,その全体像は定かではありませんが,高さ2m程のラテライトの擁壁に囲まれた南北に長い方形遺構がまずあり,一度この遺構が放棄された後に,この上面に新たに煉瓦遺構,あるいは煉瓦を基礎とした木造遺構が造られたようです。
遺構の基礎内部や周辺からは多数の土器が出土し,多くはプレ・アンコール期の特徴を良く示すものであったため,この遺跡群の最盛期とされる7世紀の利用の痕跡が認められたものと考えられます。
カンボジアの3,4月は大変な暑さでしたが,約25名の住民参加とプノンペンからの大学生,そして日本人学生等も含めた約35名で充実した成果があげられたと思います。



遺構の全容解明のために,今後のさらなる調査を予定しています。


