下田 ‐ 建築史研究室

筑波大学 世界遺産専攻 下田一太研究室のブログです

建築遺産演習 in ミャンマー(その5)

〈7月26日〉

 演習6日目の7月26日(土)は、バガン見学の初日であった。この日は一般的な観光客が訪れる主要な仏教遺跡と、発掘・修復現場を見学し、翌日に図面作成を行うパゴダを下見した。

 最初に訪れたのはOld Baganより東に位置するBu-le-thiと呼ばれるパゴダである。バガンには現在も約3000ものパゴダが存在していると言われているが、Bu-le-thiはその中でも数少ない登れるパゴダの1つである。手摺のない急な階段を登り切ると、無数のパゴダがそびえるバガンの景色を見渡すことができた。初めて見るその景色によって、自分が歴史的な異国の街に来たことを改めて実感した。しかし、写真2の手前に写っているように、畑がパゴダのすぐ近くにあることに驚いた。パゴダの上では、地元の人が砂絵を売っていた。このようなところで売ってもよいのかと疑問に思ったが、事務所に金を払えば良いということらしかった。売店はパゴダのすぐ目の前にもあり、ズボンやロンジーを売っていた。今までミャンマー人はおとなしいとの印象を受けていたが、さすがに観光地バガンの売り子の推しは強いと感じた。ちなみに下田先生はここでズボンを購入し、さらに平田さんからロンジーをプレゼントされていた。

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 続いて訪れたのはバガンで有名なパゴダの1つ、Shwe zi gone Pagoda である。
この名は「金の川岸」という意味を持つそうだ。その名の通り金色に輝く外観をしており、最も綺麗なパゴダとして人気が高い。その前に訪れたBu-le-thiより境内がはるかに広く、入口付近には土産もの屋が軒を連ねていた。パゴダや寺院では靴・靴下を脱がなければならず、場所によっては尖った木々や石、糞、でこぼこの地面などで苦労したが、このパゴダにおいては地面が舗装されており、歩きやすかった。ここには釈迦の骨と歯が安置されていると言われている。そのためか、基壇には釈迦の前世の物語(ジャータカ/本生話)を示す550枚ものレリーフが刻まれており、また境内に釈迦が出家前に出会った老・病・死を表す彫刻が見られるなど、この世に生きて動き回っていた頃の釈迦を意識させられるものが多かった。また、このパゴダには、(装飾品などで?)頭が重く顔を上げられなかった王が、水に映してこのパゴダを見ていたという面白い逸話が残っており、実際にそのための水鏡もパゴダの前に用意されていた。

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その後、私たちは遺跡の保護や発掘に携わっている人々の事務所にお邪魔し、彼らの業務やバガンの現状についてお話を伺った。
バガンは5つの段階にゾーニングされている。世界遺産制度のproperty zoneとbuffer zoneに該当するのは、寺院、パゴダ、城壁などの重要な遺跡の多い赤色のancient monumental zone、続くancient site zone(遺跡が潜在的にあると思われる場所)、protected and preserved zoneの3つである。これらではホテル建設が制限されており、ゾーニング以前のホテルは残っているが、新しいホテルの建設は禁止されているとのことである。

また、遺跡より30メートル離れたところでは耕作が許されている。その他にurban zone、hotel zoneがある。urban zoneでは地域住民が多く住む場所であるため、コントロールが難しいとの話だった。ゾーニングに関しては、ある一部分でancient site zoneがancient monument zoneに食い込んでいることについて質問が挙がったが、以前の所長がそのようにしたということで、その理由について明確な回答は得られなかった。ただ、現在新しいゾーニングについても考えているそうである。もう一つ、ゾーニングされた地域内のゴルフコースについてどう考えているかについても質問があったが、これについても明確な回答は得られなかった。2017年までにマスタープランを作成する計画があるらしい。

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また、保存や修復作業についても話をうかがった。ここの組織は1996年までは保存事業のみを行い、1996~2012年までは保存事業と修復事業、そして2012年~現在までは再び保存事業業のみを行っているとのことだった。バガンには11~13世紀のパゴダがあり、それぞれの時代によって建築様式が決まっているので、それに基づき保護・修復を行っているというような話だったが、そんなにきれいに様式が分かれるのか、同じ時代のパゴダはすべて同じように修復することになるのか、色々と疑問だったのでそれに関してはもう少し話を聞きたかったとも思う。

修復事業の予算はほとんど人々の寄付でまかわれているとのことだった。額は1996年の時点で6000ドルとのことだったが、現在では物価が上がり、2倍かそれ以上かかるかもしれないそうだ。1996年~2012年の間、2500以上の遺跡を修復したという。保護しか行っていない2012年以降、寄付者の数は減っているらしい。ミャンマーの仏教遺跡の保護・修復にとって、寄付者の存在が大きいことは理解できた。保護は修復よりも視覚的に目立たない作業だが、今あるものが今後も有り続けていくために必要な作業だということを人々が意識してくれたら、保護作業や世界遺産登録などももっと柔軟に進んでいくのかもしれないと思った。また、1992年から2012年の間に壁画のある462の寺院のうち100を修復したそうだ。これについては、ユネスコが専門のトレーニングを提供してくれたとのことである。

Bu-le-thiから見た光景についても回答がいただけた。土地の主所有者は政府であり、それぞれの土地は農民へと貸し出されている。彼らは大きな木を植えることは許可されておらず、季節的な作物だけを育てられる。また、寺院やパゴダ前で構えているお店については、規模の大小にかかわらず、一定の額を事務所に納め、ライセンスをもらう必要があり、15の古いパゴダのみ、文部省にお金を払うとのことである。

午前中最後に訪れたのは、遺跡が修復されているSitanagyi Hpayaである。多くの人々が作業している様子を見ることができた。現在では保存事業のみが行われているので、壊れた部分を直すというよりは、今ある形を残していくための作業が進められているとのことである。比較的大きな建物だったが、1年間で修復作業を終わらせる計画らしい。何千もの寺院やパゴダが残っているバガンでは、スピード感も求められているのだろう。

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また、発掘作業によって出てきた遺構も見ることができた。修復においては、1996年~2010年はセメントを使用していたが、以降は石灰とモルタルのみを用いているそうだ。モルタルにはれんがパウダー、砂、消石灰(+接着剤など)が混ぜられており、それぞれの配分は修復対象によって変わる。ここでは1:2:1とのことだった。加えて、モルタルには樹脂も混ぜられていた。この樹脂は、モルタルの固まる時間を調整する役割をもつとのことである。樹脂と聞いて甘い匂いを想像したが、樹脂が溜められた甕からは動物の糞の臭いがした。

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お昼ごはんを挟んで案内されたのは、バガン王朝時代の王宮跡である。ここでは発掘作業が進められていた。1990年~1995年に行われた発掘作業の最初に、この場所から16世紀の寺院が発掘されたらしい。11~13世紀の遺跡が並ぶバガンで、その時代の建造物が発見されたことには大きな驚きがあったようである。

その後もエリアを決めて、現在も発掘が続けられている。発掘現場では、大きさの異なるれんがからなる3つの層を見ることが出来た。時代によってれんがの大きさが異なるとのことだった。多くの甕が出土したキッチン跡や大きな柱跡を見ることができた。この王宮発掘現場では、出土した土器などの遺物がその場から移動されないままガラスケースのようなものにいれて置いてあり、驚いた。

一部は博物館に送っているが、大多数は全く触らず、出てきた場所においておくことにしているそうだ。それが出土した遺物の価値を保ち続けるための方法であるという考えだそうで、私たちの考えとの違いを感じた。この場所は過去に盗掘の被害に会っており、調査データがあまり残っていないらしい。このことも含め、発掘や調査によって王宮の様子が明らかになっていくにはまだまだ時間がかかるように感じた。

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その後、私たちは王宮発掘現場のすぐ近くにあるShwegugyi寺院を訪れた。白色の壁が夕日に照らされて綺麗だった。ここもまた上に登ることができた。近くに迫力あるThatbyinyu寺院が見え、畑の代わりに緑が多く散らばるなど、朝のBu-le-thiとはまた違った景色を眺めることができた。

一方で、この寺院からの風景で悪目立ちしていると感じたものがいくつかあった。新王宮と博物館、そして電線である。新王宮はどこぞの富豪が2004年に観光客へのパフォーマンス用に作らせたもののようである。かつて存在したバガンの王宮を模したであろうデザインで、写真を見ると分かるように結構な高さがあり、金色に輝く色合いも相まって大層目立つ建物となっている。数百年後にはこの建造物も価値をもつかもしれないが、今のところ歴史的な寺院やパゴダの群の中に存在しながら、周囲と形も時代も異にするこの建造物には違和感を覚えた。また、同様に王宮を模したと思われる考古学博物館の外観も気になった。新王宮よりも色は大人しいが、やはり高所から眺めると目立つように思える。博物館が王宮の外観を模す必要があったのか、個人的には疑問である。バガンの景観のメインは寺院やパゴダだと思うのだが、高所から眺めると、添え物であるはずの上2つの建造物はそれらより目立っている。

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今後バガンは観光化が進んでいくと予想されているが、それに伴って新しい観光施設も造られるかもしれない。その時はもう少し建造物のデザインを慎重に考えてみるべきなのではないかと思った。新王宮や博物館から目線を少し近くに戻すと、パゴダの間を電線が張り廻っているのがわかる。これらは、縦に伸びるパゴダとは対照的に横に走っているという点において、バガンの景観を一層妨げているように感じられた。ただし、電線はここに住んでいる人々の生活には必要な存在でもある。日本の観光地などではこれらを地中に埋めるという策を行っている場所もあるが、費用とメンテナンスを考えると、バガンでは難しいと思われる。地域住民が必要としているものと観光地・歴史的景観として求められているものとで折り合いを付けていくことの難しさを感じた。

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Shwegugy寺院を降りてからは、そのすぐ近くにある壊れかけた門のような建造物を訪れ、その後殆ど観光客の訪れていないYwa-Haunggyi-Hpayaを見に行った。どちらかを翌日の図面作成練習の対象にするとのことで、3Dモデルを作成する福田さん・陳さんを中心に、各々写真を撮り、翌日作成する図面について下田先生から説明を受けた。3グループに分け、平面図・立面図・断面図を割り振るそうだ。

各図について説明を少し聞いただけで、作業の緻密さ、大変さが垣間見れた。最初の門はすっかり寂れている小さなものであったにもかかわらず、私たちが集まっているからだろうか、どこかへの近道なのだろうか、人の通りがちらほらあったように思う。後に訪れた寺院にもこの日と翌日と合わせて、人の入りがあった。外観がしっかり残っているからだろうか、かつては主要な観光対象の一つであったのだろうか。

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 最後に、綺麗な夕日が眺められるとのことで有名なThatbyinyu寺院を訪れた。私たちが到着したころには、すでに多くの観光客が寺院の上でひしめきあっていた。他の場所よりも外国人観光客の割合が多かった。エーヤさんに聞いたところ、ここで見る夕日がとても有名で、外国から本当に多くの人が訪れることから、地元の人々はこの時間にこの場所に登るのを控え、外国人に譲ってあげるのだという。大勢の人に囲まれ、落ち着いてみることは難しかったが、確かにここから見る夕日は見事であった。夕日を背負ってそびえるパゴダや寺院の群からは神々しさを感じた。また、夕日とは反対側だが、光に照らされ、奥にある山脈の細かな山肌を見ることができた。左に重く構えるDhammayangyi寺院とのツーショットは荘厳であった。

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實淨和沙

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