下田 ‐ 建築史研究室

筑波大学 世界遺産専攻 下田一太研究室のブログです

建築遺産演習 in ミャンマー(その3)

〈7月24日〉
 ピィー二日目。昨日に引き続きFSAの専門家の方々にシュリクセートラ遺跡を案内していただいた。まず、シュリクセートラ遺跡内の王宮跡を訪れた。王宮跡ではこれまでに2度の発掘調査が行われており、瓦が出土していること(ミャンマーで瓦が出土したのは3カ所のみ)とレンガ積みのための基礎として掘込みが行われているということから、中国と何らかの関連があったと考えられている。王宮としての機能についてはまだ解明されておらず、今後も発掘調査が予定されている。現地の専門家からは、発掘調査後の出土遺物の調査と保存、また、土地利用と遺跡の見せ方やインタープリテーションが今後の課題としてあげられていた。サイン計画などのVisitor facilityはプラン段階であり、ローカルガイドの育成が現在行われているということである。

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 遺跡の見せ方やインタープリテーションということについて、今回私たちは現地の専門家による案内のもとバスを借りて遺跡をめぐり、専門家の方から丁寧な解説をいただいたので、遺跡に関する理解を深めることができた。しかし、実際には広大な遺跡内にサインなどはほとんど見当たらず、設置してある遺跡の解説も十分とはいえないものであった。ピューの遺跡は、城壁などの遺構や出土品などであり、一目でその価値が感じられるようなインパクトは持ち合わせていない。遺産のどのような価値をどのようにして伝えていくのか、今後の課題であると感じた。また、地域住民も遺跡の価値を理解している人は少なく、世界遺産についての理解もあまりないということであった。ローカルガイドや警備員として、地域住民が仕事の機会を得ることは、同時に遺産の価値を理解することにも繋がっていくと考えられる。このような包括的な保護のマネジメントが求められているということを改めて実感した。

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 現在、ピューで行われているゾーニングについて、2011年の改正により、⑴Monument Sites Zone、⑵Ancient Sites Zone、⑶Protect and Preservation Zoneの3つに分けられている。そのうち、⑴と⑵が世界遺産のCore Zone、⑶がBuffer Zoneとなっている。⑴Monument Sites Zoneは、遺構が露出している考古学的なサイトであり、厳しく保護されている。⑵Ancient Sites Zoneは、遺構が地下にねむっていると考えられているサイトで、プランテーションや建物の建設は許可されているものの、その高さや規模は制限されている。このようなゾーニングに関する規制があるものの、実際の社会でこれがきちんと機能するかといえば、それも簡単なことではないようである。

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 シュリクセートラ遺跡内のいくつかの遺構を見学して、遺跡付近での宗教施設の建設や、土地所有者である地主によるサトウキビ・プランテーションなどの現場に遭遇した【*3】。ミャンマーは敬虔な仏教国であり、仏教指導者は尊敬され権力を有しているため、このような宗教施設の建設に関しても、ノーというのは難しいという話であった。また、プランテーションに関しても、地主が小作農をやとって農業を行うという伝統的なシステムにもとづいており、土地利用に関しては、地主の理解を得ることが重要となる。現地の専門家によれば、世界遺産に登録されたことで、理解・協力がすすんでいるということであった。しかし、もし地主が遺産保護のために保護地域での農業をやめた場合に、その土地での農業によって生計をたてている小作農がいたとすれば、その人たちの生活の問題も顕在化することとなろう。世界遺産地域といっても、そこに暮らす人々がおり、そこに日常の営みがある以上、遺産の保護や管理、景観保全のためには、地域住民の理解と協力ならびに遺産の活用によって地域住民にも利益が還元されるような仕組みが必要である。

 シュリクセートラ遺跡内の寺院や共同墓地などのいくつかの遺構を見学し、ボーボージー・ストゥーパ(Bawbawgyi Stupa)を訪れた【*5】。ボーボージーは、シュリクセートラ遺跡における三大仏塔の一つで、城壁の外側に位置している。高さは約46mあるが、その用途は不明である。ボーボージーと並ぶ三大仏塔として、パヤージーとパヤーマーがあり、この三つのパゴダ間でコミュニケーションが行われていたのではないかと考えられている。現在も僧侶の修行の場となっており、私たちが見学に訪れた際には、地元の人が数名参拝に訪れていた。

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 遺跡見学の後、FSAにてピュー遺跡のマネジメントの課題についてのプレゼンテーション、質疑応答とディスカッションが行われた。予定時間は30分であったにもかかわらず、多くの質問が出たこともあり3時間もの質疑応答の時間はとても充実したものであった。質問の内容としては、遺産のAncient useの特定の方法について、遺産地域における観光化(土産物屋やホテル建設等)に対する規制等の措置について、世界遺産登録における地域住民の反応(理解)について、土地利用について、などであった。現地の専門家の方には、その一つ一つに丁寧にお答えいただいた。ピュー遺跡における今後の課題はよく整理されており、Visitors Facilityなどについては、すでにプランもあり、今後はこれをコミュニティ・ベースドでゆっくりと施行していくということであった。また、開発が遺産に与える影響についてのモニタリング作業も2015年の世界遺産委員会での報告のために行われている。一方で、Disasters Risk Managementに関しては、まだプランなどはなく、今後、イギリスやイタリアのシステムを参考に進めていきたいということであった。
 全体を通して感じたこととしては、問題意識や課題の抽出は、最近の国際的な議論にもとづいて行われているといった印象であるが、具体的な取組みに関しては、保護管理計画の作成とそれを実際の社会のなかで機能させていくという点では、まだまだこれからであるという印象を受けた。

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 FSAでのディスカッションの後、シュリクセートラ遺跡内のLulinkyaw City-Gateを見学した。ここは、城壁の中でも唯一外側にも小さな壁を有しているという点で他の城壁とは異なっている。扉は常に開いていたと考えられており、堀もそれほど深くないこと、パゴダが城壁の外側に位置しているということからも、外敵が少なく、当時のピュー王朝が強固な国として存在していたと考えられる。城壁は、外敵の脅威に備えるためというよりも、宗教的なものとしての役割があったとも推測されている。また、この土地では鉄鉱石が採れることもあり、近くには製鉄所の遺跡が見つかっている。決まった方向から吹くモンスーンなどの自然風を製鉄に利用するために、高台に製鉄所を作ったのではないかと考えられている。このようなピュー遺跡における自然利用と関連していた古代産業としては、鉄や塩、レンガ製造などがあるが、これらについてはICOMOSからも関連性に関して調査・研究を行うよう指摘されており、今後研究が進められるとみられている。

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 ピュー遺跡に関しては、その価値の存在は認められるものの、それらが研究によって十分に整理されていない部分が多い。世界遺産登録に関しても、1年で申請の準備をしたということや、本来のICOMOSの事前勧告は登録延期であったという事実もある。そのために、保護管理や地域住民への浸透といった部分ではまだまだ多くの課題を残すが、ミャンマー初の世界遺産ということもあり、ピューの事例をきっかけに様々な保護活動が行われていく可能性や、国際的にも課題となっている包括的な遺産保護の取組みなどが行われるサイトになっていく可能性など、多くの可能性を秘めているサイトであると感じた。

福田藍

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