下田 ‐ 建築史研究室

筑波大学 世界遺産専攻 下田一太研究室のブログです

建築遺産演習 in ミャンマー(その2)

〈7月23日〉
ミャンマー初の世界遺産として2014年に登録された「Pyu Ancient Cities」の遺跡群。ピュー遺跡としてよく知られているのは、シュリクセートラ(Sri ksetra)、ベイタノー(Beikthano)、ハリンヂー(Hakin)で、今回世界遺産に登録されたのもこの3遺跡である。今回の演習では、3遺跡のうちシュリクセートラとベイタノーを見学した。

 7月23日早朝、シュリクセートラ遺跡の北西9kmにあるピィー(Pyay)という都市に向けてヤンゴンを出発した。ピィーまでは、ヤンゴンからバスで6時間かかるが、道はでこぼこでなかなかハードな移動であった。移動手段の問題もあってか、ピィーは今回の演習で訪れたヤンゴンやバガンといった都市に比べると観光客が圧倒的に少ない印象を受けた。世界遺産登録を受けて、今後観光客が増えることが予想されるものの、移動手段や時間距離を考えると短期間で著しく急増する可能性は低いのかもしれない。しかし、ミャンマーにおける最大都市ヤンゴンと屈指の観光地であるバガンの中間地点に位置することもあり、ツアーや観光アピールが充実すれば、今後観光客にとって魅力的な土地となっていくことは間違いないだろう。いずれにせよ、今後観光客が増えることは確実であり、遺産の保護管理においても、観光による遺産や地域社会へのインパクトについて十分に考えていく必要性を感じた。
 
 ピィーに到着し、はじめに向かったのはField School of Archaeology(FSA)である。FSAは考古学を専門とする学校で、イタリア政府の協力援助等も受け,大学を卒業した若手専門家がピュー遺跡において実際に発掘調査を仕事として行いながら、学校で考古学について学んでいる。FSAの関係者である考古の専門家やピュー遺跡の世界遺産登録担当者の方々から、ピュー遺跡の概要、世界遺産登録やマネジメントの課題についてお話をうかがうことができた。ピュー遺跡は、シュリクセートラ、ベイタノー、ハリンヂーの3遺跡から成るシリアルノミネーションとして世界遺産に登録され、これらの地域は約600km離れている。そのこともピュー遺跡のマネジメントの難しさや課題となっているということであった。

723_5.jpg


 ピュー遺跡についてお話をうかがった後、博物館へ案内していただいた。博物館では、出土したレリーフや金製品、ビーズや銀貨などの遺物がパネルとともに展示されていた。また、博物館の本館のそばにある建物には、記録や展示計画がまだ行われていない遺物が安置されていた。これらも今後、記録作業を経て展示計画のもと公開していく予定ではあるが、考古学や博物館学について専門知識を持つ人材の不足や予算不足などもあって、なかなか進んでいないということであった。

723_1.jpg

723_2.jpg


 博物館を案内していただいた後は、シュリクセートラ遺跡内にあるPayahtaung Templeを見学した。この遺跡のすぐ外側では、地元住民による伝統的な方法での農業が行われている。これに関して、「伝統の保存」と「伝統的な保存」という説明をいただいた。つまり、遺跡を区切る壁を新たに建設することもできるが、ここでは伝統的な方法にもとづいた農業の生垣によって、伝統(遺跡)の保護を試みているということであった。

723_6.jpg


 FSAでのレクチャーと遺跡見学を通して、現地の専門家の方のお話のなかから、地域住民や地域社会の発展と結びついた遺跡の保護やマネジメントを目指す姿勢が強く感じられた。実際に地域住民が遺産保護や観光管理のシステムのなかで活躍できる可能性はおおいにあり、それらのマネジメントの必要性を感じた。一方で、“地域住民や社会の発展と結びついた遺産の保護管理”と言葉で言うのは簡単だが、実際にすすめていくにはお金も時間もかかる作業であり、その方法も確立していない状況で、課題も多い。しかし、遺産保護がはじまったばかりのミャンマーにおいて、このような理念を掲げて保護を進めていこうとすることは、とても意味のあることではないだろうか。また、発掘調査後の遺構や遺物の調査や管理、活用といった面でも、見学させていただいた博物館では、今出来る精一杯の方法で管理を行っているものの、専門的知識を持った人材不足や資金不足などにより、そのマネジメントは十分とは言えず、今後のマネジメントの可能性ならびに国際協力の可能性も感じた。

福田藍

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する