下田 ‐ 建築史研究室

筑波大学 世界遺産専攻 下田一太研究室のブログです

JSA 20周年式典

8月19日に,日本国政府アンコール遺跡救済チーム(JSA)の20周年式典がシェムリアップで開催されました。1994年に事業が発足し,20年と節目の年を迎えたことになります。

夏の調査ミッションとして多くの専門家が参加している時期であったことに加えて,過去に事業の参加されていたメンバーもシェムリアップに駆けつけ,懐かしい顔ぶれも多く,たいへん楽しい,そして感慨深い会でありました。

過去20年の間に事業に参加された日本人,カンボジア人の中には他界した方も少なくなく,式典に先立ち,アンコール・トム内の仏教寺院で法要の儀式より開始されました。

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その後,現在,発掘調査と修復工事が進められているバイヨン寺院にてそれぞれの担当者より進捗状況や最近の発見についての報告をいただきました。バイヨン外回廊の東門での工事とそれに付随する発掘調査が進められていますが,参道の改変についての痕跡は,複数期に渡る大型の柱穴が確認されており,バイヨン寺院の後年における増改築と宗教儀礼の変化を考える上で極めて重要な発見になります。

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東門は寺院正面の最も重要な導入地点ですが,ポルポト時代に崩壊し,そのままに放置されてきており,多数の石材が散乱したままとされていました。これらの石材の同定調査が終わり,南側より再構築工事が進められています。
破損石材が多く,仕事量の多い修復工事となっています。

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さらに,事業第二期に行われたアンコール・ワットの修復現場を訪れ,事業団長である中川武先生からの工事概要など当時の思い出を交えて説明をいただきました。

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その後は現在カンボジアNPOであるJSTが建設・運営している遺跡群近郊のバイヨン中学校を見学に訪れ,学生の授業の様子を見学し,校長先生との交流を行いました。ちょうど,日本人のインターンシップ学生が日本語教室を行っている場面。日本の学生もはちきれんばかりの元気さで頑張ってました。

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夕方にはプロジェクトオフィスのホールにて本格的な式典となり,事業団長の挨拶に続き,共同事業主であるアプサラからの挨拶をいただき,これまで20年を振り返ると共に,将来の展望へと思いを馳せる祝辞に聞き入りました。たいへん多くの人々がそれぞれの人生の多くをこの修復事業にかけてきたことを改めて感じさせる集いとなりました。

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乾杯の後の盛り上がりは,参加した方々の中での記憶の中にとどめておきましょう。。。

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サンボー・プレイ・クック遺跡ワークショップ@プノンペン

8月19日にカンボジア文化芸術省において「ユネスコ世界遺産申請のためのサンボー・プレイ・クック遺跡群の研究と保存に関するワークショップ」を開催しました。

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このブログでもたびたび紹介しているこの遺跡群ですが,来年2月の世界遺産申請を目指して準備が進められており,その方向性を確認するために,これまでの研究成果,現状の保存修復工事の進捗状況,そして将来的な遺跡群の管理体制の構築を関係者一同で協議するためのワークショップを行いました。

会議では大学研究者,文化芸術省,アジア開発銀行,ユネスコ等の関係者約20名が各活動内容について報告を行いました。また,プノンペン王立芸術大学やその他の大学生も多く参加し,今後の研究や保存,そして世界遺産申請の行方について注目が集まりました。

第一部の研究成果のセッションでは,サンボー・プレイ・クック遺跡群保全事業が進めてきた調査のレビューを行った後,最近進められている煉瓦の分析をもとにした遺構の建造過程の研究,都城内の発掘調査の成果,祠堂の建築的多様性に関する調査,フライングパレスの復原的建築イメージの研究,漆喰の科学分析と保存処置の研究等について報告がありました。

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第二部の保存と観光開発のセッションでは,プラサート・サンボー寺院内における台座や煉瓦遺構の修復工事,プラサート・イエイ・ポアン寺院マンダパ祠堂の修復工事,遺跡群周辺のリビングヘリテージ,遺跡群のコミュニティーマーケットの活動計画,遺跡群の文化観光開発計画についての報告がありました。

さらに第三部の世界遺産申請にあたっての管理計画策定に関するセッションでは,カンボジア政府の法整備の経過,政府による今後のマネジメントプラン策定計画についての報告があり,最後にプノンペンユネスコ所長より,申請にあたっての課題や提案,世界遺産登録の先を見据えた展望の必要性,そしてワークショップの意義についての総括をいただきました。

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その後は現状の遺跡整備や管理体制構築のための具体的な問題について,会場からの質問なども交えて議論が行われ,丸一日のワークショップは関係者にとってたいへん有意義な意見交換のもとに終えることができました。

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建築遺産演習 in ミャンマー (番外 マンダレー)

パガンにて演習を終え,学生はヤンゴンへ。やや寂しく一人マンダレーに移動し,こちらの工科大学で遺産マネジメントを専門としている先生にお会いしてきました。
ピュー遺跡の世界遺産申請書類の作成にも深く携わった方で,今回の演習とも関係していろいろな話を伺うことができました。

工科大学では建築学科の大学院生に講義をする機会をいただきましたが,驚くべきことに学生のほとんどが女性。そして先生方や大学スッタフもまた。工科大学といったら男性ばかりかと思っていたら。。。
どうやらミャンマーではこの大学だけでなく,どこでも学生の多くが女性であるらしいのです。

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大学は2012年に再開校したばかりで,海外の大学との連携協定に積極的で,日本ともいくつかの協定大学を締結しているとのこと。ミャンマーでは考古学系の文化財専門家育成の大学はあるものの,建築学系での専門家育成を目的とした大学はなく,その方向性を模索しているようでした。

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マンダレーにもまた多数のストゥーパが点在し,中には国内最古級の木造僧院も残されています。
彫刻部材の集積によって形作られた木造建築物は輪郭が火焔のように繊細に縁どられ,後期ゴシックの針葉樹の森にもつながる美的センスといえるでしょうか。

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中心に復原された王宮施設群を構え,観光客を集めている都城址は,周囲を環濠に囲繞され,高い城壁を巡らし,楼門が都城内への往来を制御しており,クメール帝国の王都アンコール・トムの往時の様子が彷彿とされました。

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建築遺産演習 in ミャンマー(その7)

〈7月28日〉

いよいよバガンでの最終日がきた。
朝ごはんは相変わらず食パンとエグでした。元気なスタッフのおじさんが親切な挨拶、近くのマーケットで流れていた仏教教典の音楽とともに、簡単な朝ごはんもおいしく食べました。一番うれしいことは、バガン着いたから二日間ずっと熱があった川畑さんと佐藤さんが復帰した。お疲れ様でした!川畑さん、佐藤さん。建築遺産演習チームは久しぶりに揃ったことをかけて、全員のテンションも高まってきた。下田先生はホテルのロビで今日の調査任務について説明していただいた。

遺跡観光について興味を持つ人が多いので、それも加えて現地で考えさせた。先生と跡見さんも含めて8人が3組に分かれて、オルドバガンの王宮遺跡、すなわち、城壁に囲まれたエリアを対象地にそれぞれの路線で調査を行うという形式でした。どのような観光地であるか、どのような問題が存在しているのかなどのを調査内容にした。

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バガンの午後は36度すぎた、3時間調査活動で皆が疲れて集合地に戻った。短い昼ご飯後、下田先生の部屋に集めて午前中の調査について説明会を行った。3つのチームは自分担当したエリアについてそれぞれ発表し、感想と改善意見を交流した。その後、下田先生からまとめる発言をした。

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オルドバガンの問題点:
 看板:ミャンマー語のみが多い、英語が読めない、木で見えない、遺跡各の意味など分からない
 トイレ:十分な配置数だけど、指示がないので探しにくい。
 駐車場:場所が設定していない
 ゴミ:ゴミ箱はない、住民よるゴミが散らている
 民家;1990年(整備する前)の跡の基礎が残っている、パゴダのセキュリティ役をしているかどうか不明、生活ゴミ散乱
 管理されていないパゴダが多い
 寺院のなかで記念品販売をしている
 電線、柱による景観問題

その後、午後5時20分から王宮の周辺に定点交通量の調査を行った。七箇所の要塞を定点して、全方向の交通は交通工具の種類による分類され、ローカルと観光客を意識しながら記録した。

自分の調査結果を見ると、バイクを乗っているローカルは圧倒的に多い、観光客はほとんど電気自転車とチャート車を利用するということが分かった。

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晩ご飯の前、もう一度最高の夕陽を見学に行った。建築遺産演習一行は完全に目の前に素敵な景色を夢中していて、意識したうちに周りの観光客は一人もいなかった。

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夜ご飯はイタリア料理でした、下田先生の誕生日ケーキ(?)をみんな口分けで食べておいしかった。お誕生日おめでとうございます先生。

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さよなら、バガン。また会いに来る。

陳瑩

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建築遺産演習 in ミャンマー(その6)

〈7月27日〉

パガン2日目。昨日の夕方に写真記録を行ったYwa-Haunggyi-Hpaya寺院にて午前中は図面作成の実習を行った。
3つの班,平面図作成組,室内断面図(展開図)作成組,そして立面図作成組に分かれての作業。

煉瓦造の建物をじっくりと観察する機会,そしてそれを図化する作業は初めての学生ばかりで,実際に書いてみると様々な部分に装飾が施されていることに気づかされる。一見して分かったつもりであったた建物を記録することによって,こんなにも新しいことが発見されるとは!

平面図は遺構が南北で線対称であることを前提として,南半分のみをとることとした。室内は壁体が平滑だから良いが,外面はモールディング装飾で飾られ,どの線を図面としてとればよいのか,最初は戸惑う。原則としては付柱のあるレベルでとるものだが,時間が限定された作業であったため,今回は足元の張り出し部で採寸を行い,付柱のレベルはスケッチをするにとどめる。

室内断面図は主に拝殿と主室を対象とし,壁画の構成や劣化状態についても記録を行った。壁体のフレスコ画はかなり傷んでおり,壁画層が剥がれている部分が多い。下からの目視で北面全体の劣化マッピングを行った。

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立面図は直射日光のもと,最も過酷な作業であった。前日に記録した写真から,当日の朝,写真測量のソフトで立面図を起こしておき,そこに現場で細部の装飾や壁体の確実な線をトレースする作業を行う。写真測量の画像がオルソではなくパースであることが作業を困難にする。半日では時間が十分ではなかったが,全体の形状をおさえる作業までは終えることができた。
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正午過ぎに4時間ほどの作業を終え,全員で作業の結果を報告し合って終了となった。

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午後は博物館を見学し,その後さらにアーナンダ寺院を昨日も案内していただいたKo Ko Aung氏からの説明のもと見学した。現在,インド考古局による壁画の修復作業(白ペイントの除去作業)が進められており,その方針や方法について説明を受ける。

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その後,オールドパガン北西端に位置するブー・パヤー寺院前からボートに乗ってエイヤワディー川からバガン遺跡を眺める。悠々とながれる大河に時間がゆったりと過ぎていくのを楽しみつつ。川の浸食によって危険な状態にさらされている遺構も少なくない。

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さらにニューパガンの西端に位置するローカナンダ寺院に向かい,エイヤワディー川に日が落ちるのを眺める。ちょうど近くでお祭りがはじまるようで,停電を繰り返す中,準備の作業が進められていた。

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建築遺産演習 in ミャンマー(その5)

〈7月26日〉

 演習6日目の7月26日(土)は、バガン見学の初日であった。この日は一般的な観光客が訪れる主要な仏教遺跡と、発掘・修復現場を見学し、翌日に図面作成を行うパゴダを下見した。

 最初に訪れたのはOld Baganより東に位置するBu-le-thiと呼ばれるパゴダである。バガンには現在も約3000ものパゴダが存在していると言われているが、Bu-le-thiはその中でも数少ない登れるパゴダの1つである。手摺のない急な階段を登り切ると、無数のパゴダがそびえるバガンの景色を見渡すことができた。初めて見るその景色によって、自分が歴史的な異国の街に来たことを改めて実感した。しかし、写真2の手前に写っているように、畑がパゴダのすぐ近くにあることに驚いた。パゴダの上では、地元の人が砂絵を売っていた。このようなところで売ってもよいのかと疑問に思ったが、事務所に金を払えば良いということらしかった。売店はパゴダのすぐ目の前にもあり、ズボンやロンジーを売っていた。今までミャンマー人はおとなしいとの印象を受けていたが、さすがに観光地バガンの売り子の推しは強いと感じた。ちなみに下田先生はここでズボンを購入し、さらに平田さんからロンジーをプレゼントされていた。

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 続いて訪れたのはバガンで有名なパゴダの1つ、Shwe zi gone Pagoda である。
この名は「金の川岸」という意味を持つそうだ。その名の通り金色に輝く外観をしており、最も綺麗なパゴダとして人気が高い。その前に訪れたBu-le-thiより境内がはるかに広く、入口付近には土産もの屋が軒を連ねていた。パゴダや寺院では靴・靴下を脱がなければならず、場所によっては尖った木々や石、糞、でこぼこの地面などで苦労したが、このパゴダにおいては地面が舗装されており、歩きやすかった。ここには釈迦の骨と歯が安置されていると言われている。そのためか、基壇には釈迦の前世の物語(ジャータカ/本生話)を示す550枚ものレリーフが刻まれており、また境内に釈迦が出家前に出会った老・病・死を表す彫刻が見られるなど、この世に生きて動き回っていた頃の釈迦を意識させられるものが多かった。また、このパゴダには、(装飾品などで?)頭が重く顔を上げられなかった王が、水に映してこのパゴダを見ていたという面白い逸話が残っており、実際にそのための水鏡もパゴダの前に用意されていた。

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その後、私たちは遺跡の保護や発掘に携わっている人々の事務所にお邪魔し、彼らの業務やバガンの現状についてお話を伺った。
バガンは5つの段階にゾーニングされている。世界遺産制度のproperty zoneとbuffer zoneに該当するのは、寺院、パゴダ、城壁などの重要な遺跡の多い赤色のancient monumental zone、続くancient site zone(遺跡が潜在的にあると思われる場所)、protected and preserved zoneの3つである。これらではホテル建設が制限されており、ゾーニング以前のホテルは残っているが、新しいホテルの建設は禁止されているとのことである。

また、遺跡より30メートル離れたところでは耕作が許されている。その他にurban zone、hotel zoneがある。urban zoneでは地域住民が多く住む場所であるため、コントロールが難しいとの話だった。ゾーニングに関しては、ある一部分でancient site zoneがancient monument zoneに食い込んでいることについて質問が挙がったが、以前の所長がそのようにしたということで、その理由について明確な回答は得られなかった。ただ、現在新しいゾーニングについても考えているそうである。もう一つ、ゾーニングされた地域内のゴルフコースについてどう考えているかについても質問があったが、これについても明確な回答は得られなかった。2017年までにマスタープランを作成する計画があるらしい。

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また、保存や修復作業についても話をうかがった。ここの組織は1996年までは保存事業のみを行い、1996~2012年までは保存事業と修復事業、そして2012年~現在までは再び保存事業業のみを行っているとのことだった。バガンには11~13世紀のパゴダがあり、それぞれの時代によって建築様式が決まっているので、それに基づき保護・修復を行っているというような話だったが、そんなにきれいに様式が分かれるのか、同じ時代のパゴダはすべて同じように修復することになるのか、色々と疑問だったのでそれに関してはもう少し話を聞きたかったとも思う。

修復事業の予算はほとんど人々の寄付でまかわれているとのことだった。額は1996年の時点で6000ドルとのことだったが、現在では物価が上がり、2倍かそれ以上かかるかもしれないそうだ。1996年~2012年の間、2500以上の遺跡を修復したという。保護しか行っていない2012年以降、寄付者の数は減っているらしい。ミャンマーの仏教遺跡の保護・修復にとって、寄付者の存在が大きいことは理解できた。保護は修復よりも視覚的に目立たない作業だが、今あるものが今後も有り続けていくために必要な作業だということを人々が意識してくれたら、保護作業や世界遺産登録などももっと柔軟に進んでいくのかもしれないと思った。また、1992年から2012年の間に壁画のある462の寺院のうち100を修復したそうだ。これについては、ユネスコが専門のトレーニングを提供してくれたとのことである。

Bu-le-thiから見た光景についても回答がいただけた。土地の主所有者は政府であり、それぞれの土地は農民へと貸し出されている。彼らは大きな木を植えることは許可されておらず、季節的な作物だけを育てられる。また、寺院やパゴダ前で構えているお店については、規模の大小にかかわらず、一定の額を事務所に納め、ライセンスをもらう必要があり、15の古いパゴダのみ、文部省にお金を払うとのことである。

午前中最後に訪れたのは、遺跡が修復されているSitanagyi Hpayaである。多くの人々が作業している様子を見ることができた。現在では保存事業のみが行われているので、壊れた部分を直すというよりは、今ある形を残していくための作業が進められているとのことである。比較的大きな建物だったが、1年間で修復作業を終わらせる計画らしい。何千もの寺院やパゴダが残っているバガンでは、スピード感も求められているのだろう。

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また、発掘作業によって出てきた遺構も見ることができた。修復においては、1996年~2010年はセメントを使用していたが、以降は石灰とモルタルのみを用いているそうだ。モルタルにはれんがパウダー、砂、消石灰(+接着剤など)が混ぜられており、それぞれの配分は修復対象によって変わる。ここでは1:2:1とのことだった。加えて、モルタルには樹脂も混ぜられていた。この樹脂は、モルタルの固まる時間を調整する役割をもつとのことである。樹脂と聞いて甘い匂いを想像したが、樹脂が溜められた甕からは動物の糞の臭いがした。

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お昼ごはんを挟んで案内されたのは、バガン王朝時代の王宮跡である。ここでは発掘作業が進められていた。1990年~1995年に行われた発掘作業の最初に、この場所から16世紀の寺院が発掘されたらしい。11~13世紀の遺跡が並ぶバガンで、その時代の建造物が発見されたことには大きな驚きがあったようである。

その後もエリアを決めて、現在も発掘が続けられている。発掘現場では、大きさの異なるれんがからなる3つの層を見ることが出来た。時代によってれんがの大きさが異なるとのことだった。多くの甕が出土したキッチン跡や大きな柱跡を見ることができた。この王宮発掘現場では、出土した土器などの遺物がその場から移動されないままガラスケースのようなものにいれて置いてあり、驚いた。

一部は博物館に送っているが、大多数は全く触らず、出てきた場所においておくことにしているそうだ。それが出土した遺物の価値を保ち続けるための方法であるという考えだそうで、私たちの考えとの違いを感じた。この場所は過去に盗掘の被害に会っており、調査データがあまり残っていないらしい。このことも含め、発掘や調査によって王宮の様子が明らかになっていくにはまだまだ時間がかかるように感じた。

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その後、私たちは王宮発掘現場のすぐ近くにあるShwegugyi寺院を訪れた。白色の壁が夕日に照らされて綺麗だった。ここもまた上に登ることができた。近くに迫力あるThatbyinyu寺院が見え、畑の代わりに緑が多く散らばるなど、朝のBu-le-thiとはまた違った景色を眺めることができた。

一方で、この寺院からの風景で悪目立ちしていると感じたものがいくつかあった。新王宮と博物館、そして電線である。新王宮はどこぞの富豪が2004年に観光客へのパフォーマンス用に作らせたもののようである。かつて存在したバガンの王宮を模したであろうデザインで、写真を見ると分かるように結構な高さがあり、金色に輝く色合いも相まって大層目立つ建物となっている。数百年後にはこの建造物も価値をもつかもしれないが、今のところ歴史的な寺院やパゴダの群の中に存在しながら、周囲と形も時代も異にするこの建造物には違和感を覚えた。また、同様に王宮を模したと思われる考古学博物館の外観も気になった。新王宮よりも色は大人しいが、やはり高所から眺めると目立つように思える。博物館が王宮の外観を模す必要があったのか、個人的には疑問である。バガンの景観のメインは寺院やパゴダだと思うのだが、高所から眺めると、添え物であるはずの上2つの建造物はそれらより目立っている。

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今後バガンは観光化が進んでいくと予想されているが、それに伴って新しい観光施設も造られるかもしれない。その時はもう少し建造物のデザインを慎重に考えてみるべきなのではないかと思った。新王宮や博物館から目線を少し近くに戻すと、パゴダの間を電線が張り廻っているのがわかる。これらは、縦に伸びるパゴダとは対照的に横に走っているという点において、バガンの景観を一層妨げているように感じられた。ただし、電線はここに住んでいる人々の生活には必要な存在でもある。日本の観光地などではこれらを地中に埋めるという策を行っている場所もあるが、費用とメンテナンスを考えると、バガンでは難しいと思われる。地域住民が必要としているものと観光地・歴史的景観として求められているものとで折り合いを付けていくことの難しさを感じた。

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Shwegugy寺院を降りてからは、そのすぐ近くにある壊れかけた門のような建造物を訪れ、その後殆ど観光客の訪れていないYwa-Haunggyi-Hpayaを見に行った。どちらかを翌日の図面作成練習の対象にするとのことで、3Dモデルを作成する福田さん・陳さんを中心に、各々写真を撮り、翌日作成する図面について下田先生から説明を受けた。3グループに分け、平面図・立面図・断面図を割り振るそうだ。

各図について説明を少し聞いただけで、作業の緻密さ、大変さが垣間見れた。最初の門はすっかり寂れている小さなものであったにもかかわらず、私たちが集まっているからだろうか、どこかへの近道なのだろうか、人の通りがちらほらあったように思う。後に訪れた寺院にもこの日と翌日と合わせて、人の入りがあった。外観がしっかり残っているからだろうか、かつては主要な観光対象の一つであったのだろうか。

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 最後に、綺麗な夕日が眺められるとのことで有名なThatbyinyu寺院を訪れた。私たちが到着したころには、すでに多くの観光客が寺院の上でひしめきあっていた。他の場所よりも外国人観光客の割合が多かった。エーヤさんに聞いたところ、ここで見る夕日がとても有名で、外国から本当に多くの人が訪れることから、地元の人々はこの時間にこの場所に登るのを控え、外国人に譲ってあげるのだという。大勢の人に囲まれ、落ち着いてみることは難しかったが、確かにここから見る夕日は見事であった。夕日を背負ってそびえるパゴダや寺院の群からは神々しさを感じた。また、夕日とは反対側だが、光に照らされ、奥にある山脈の細かな山肌を見ることができた。左に重く構えるDhammayangyi寺院とのツーショットは荘厳であった。

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實淨和沙

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建築遺産演習 in ミャンマー(その4)

〈7月25日〉

建築遺産演習5日目。この日はピイよりベイタノーを経由し、最終調査地であるバガンへと移動した。ピイからベイタノーまでは車で4時間。直線の街道を延々と北上する。朝6時にホテルを出発し、途中で一度朝食のために停車した。朝食は地元の大衆食堂のような所で、注文したメニューは大豆の練り物を平たく伸ばして揚げたものに豆のペーストを挟んで食べる、ミャンマーの朝食の一種らしい。

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 田園風景を車窓に見ながら更に数時間、車内では『ビルマの竪琴』を流しつつ、荒い舗装の道を進む。ベイタノーに到着したのは12時過ぎ。その後のバガンまでの行程も考え、滞在はおよそ2時間となった。ベイタノー考古学博物館にて温かい歓迎を受け、博物館の見学をする。博物館は天上の高い開放的な建物で、出土品や遺構の平面図、一帯の古代王朝の歴史についての展示が為されている。我々は学芸員からそれらの解説を聞きつつ、ひとつひとつ丁寧に見て行った。ピイ、シュリクセートラとの違いで目に付くのは、シュリバスタのシンボルがあしらわれた骨壺の数々である。シュリバスタとは恐らくサンスクリット語で無限の結び目を指す言葉で、長寿と永遠の愛、仏の慈悲深さを表すものとされている。また、ピイの博物館と違って仏像など信仰に直接関するものが少なかったことも特徴的だった。

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続いて、城壁内の遺跡を実際に訪れた。ベイタノーの遺跡は四方を全長約4キロの城壁に囲まれており、面積が非常に広い。その内外に発掘現場や遺構が点在している。始めに訪れたのは城壁内に位置する僧院とその関連施設跡である。ここにはインフォメーションセンターが併設されており、そこでベイタノーにおけるピュー王朝遺跡の概要やゾーニングについての情報を得ることができた(図5)。見学した遺構はパゴダ跡、僧院跡、それから用途不明の宗教施設である。この宗教施設については明確なことはわかっていないが、この地域には菩提樹に対する信仰が根付いていることから、植樹のための菩提樹の苗木を栽培したり、何らかの宗教的儀礼を行う場所であったと推測されている。僧院跡では個室に立ち入ることも可能であるが、これまでに何度も復元されているために、どこまでが原初の素材と石組みなのかは不明な箇所が多かった。それでも4畳程の狭い間取りからかつての僧侶の生活の片鱗を窺い知れる。

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次に訪れたのは王宮跡であるが、王宮の建物自体は発見されていないようである。案内された建物は規模から察するに倉庫のような場所であったと考えられている。その周辺でもう3ヵ所ほど宗教施設とされる遺構を見、それから城壁の外にある共同墓地の遺構を見学しに行った。

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この辺りは現在でも屋外で土器が焼かれており、サイトまでの道中でその場所が確認できた。この墓地は女王の墓であるとされており、発掘現場をそのままの形で保存展示している。ピイの遺構と違い、ここでは景観を考慮して覆い屋に地元の伝統的な技法を採用している。覆い屋そのものも見事であるが、数年おきに覆い屋自体の修復が必要とされるため、遺跡保全のために果たしてこの方法が最適といえるのかは疑問が残る。

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 共同墓地跡を最後に、遺跡を案内してくださった方々に別れを告げ、バガンへと向かった。途中16時頃に遅めの昼食、19時頃にトイレ休憩を挟み、再び6時間掛けて北上した。ベイタノー以降は植生も変化を見せ、車窓からの風景は岩肌の露出が多い平らな地形へと変わっていった。バガン到着は陽もすっかり暮れた21時頃である。夕食の後ホテルにチェックインし、5日目の行程を終えた。

川畑香奈

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建築遺産演習 in ミャンマー(その3)

〈7月24日〉
 ピィー二日目。昨日に引き続きFSAの専門家の方々にシュリクセートラ遺跡を案内していただいた。まず、シュリクセートラ遺跡内の王宮跡を訪れた。王宮跡ではこれまでに2度の発掘調査が行われており、瓦が出土していること(ミャンマーで瓦が出土したのは3カ所のみ)とレンガ積みのための基礎として掘込みが行われているということから、中国と何らかの関連があったと考えられている。王宮としての機能についてはまだ解明されておらず、今後も発掘調査が予定されている。現地の専門家からは、発掘調査後の出土遺物の調査と保存、また、土地利用と遺跡の見せ方やインタープリテーションが今後の課題としてあげられていた。サイン計画などのVisitor facilityはプラン段階であり、ローカルガイドの育成が現在行われているということである。

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 遺跡の見せ方やインタープリテーションということについて、今回私たちは現地の専門家による案内のもとバスを借りて遺跡をめぐり、専門家の方から丁寧な解説をいただいたので、遺跡に関する理解を深めることができた。しかし、実際には広大な遺跡内にサインなどはほとんど見当たらず、設置してある遺跡の解説も十分とはいえないものであった。ピューの遺跡は、城壁などの遺構や出土品などであり、一目でその価値が感じられるようなインパクトは持ち合わせていない。遺産のどのような価値をどのようにして伝えていくのか、今後の課題であると感じた。また、地域住民も遺跡の価値を理解している人は少なく、世界遺産についての理解もあまりないということであった。ローカルガイドや警備員として、地域住民が仕事の機会を得ることは、同時に遺産の価値を理解することにも繋がっていくと考えられる。このような包括的な保護のマネジメントが求められているということを改めて実感した。

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 現在、ピューで行われているゾーニングについて、2011年の改正により、⑴Monument Sites Zone、⑵Ancient Sites Zone、⑶Protect and Preservation Zoneの3つに分けられている。そのうち、⑴と⑵が世界遺産のCore Zone、⑶がBuffer Zoneとなっている。⑴Monument Sites Zoneは、遺構が露出している考古学的なサイトであり、厳しく保護されている。⑵Ancient Sites Zoneは、遺構が地下にねむっていると考えられているサイトで、プランテーションや建物の建設は許可されているものの、その高さや規模は制限されている。このようなゾーニングに関する規制があるものの、実際の社会でこれがきちんと機能するかといえば、それも簡単なことではないようである。

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 シュリクセートラ遺跡内のいくつかの遺構を見学して、遺跡付近での宗教施設の建設や、土地所有者である地主によるサトウキビ・プランテーションなどの現場に遭遇した【*3】。ミャンマーは敬虔な仏教国であり、仏教指導者は尊敬され権力を有しているため、このような宗教施設の建設に関しても、ノーというのは難しいという話であった。また、プランテーションに関しても、地主が小作農をやとって農業を行うという伝統的なシステムにもとづいており、土地利用に関しては、地主の理解を得ることが重要となる。現地の専門家によれば、世界遺産に登録されたことで、理解・協力がすすんでいるということであった。しかし、もし地主が遺産保護のために保護地域での農業をやめた場合に、その土地での農業によって生計をたてている小作農がいたとすれば、その人たちの生活の問題も顕在化することとなろう。世界遺産地域といっても、そこに暮らす人々がおり、そこに日常の営みがある以上、遺産の保護や管理、景観保全のためには、地域住民の理解と協力ならびに遺産の活用によって地域住民にも利益が還元されるような仕組みが必要である。

 シュリクセートラ遺跡内の寺院や共同墓地などのいくつかの遺構を見学し、ボーボージー・ストゥーパ(Bawbawgyi Stupa)を訪れた【*5】。ボーボージーは、シュリクセートラ遺跡における三大仏塔の一つで、城壁の外側に位置している。高さは約46mあるが、その用途は不明である。ボーボージーと並ぶ三大仏塔として、パヤージーとパヤーマーがあり、この三つのパゴダ間でコミュニケーションが行われていたのではないかと考えられている。現在も僧侶の修行の場となっており、私たちが見学に訪れた際には、地元の人が数名参拝に訪れていた。

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 遺跡見学の後、FSAにてピュー遺跡のマネジメントの課題についてのプレゼンテーション、質疑応答とディスカッションが行われた。予定時間は30分であったにもかかわらず、多くの質問が出たこともあり3時間もの質疑応答の時間はとても充実したものであった。質問の内容としては、遺産のAncient useの特定の方法について、遺産地域における観光化(土産物屋やホテル建設等)に対する規制等の措置について、世界遺産登録における地域住民の反応(理解)について、土地利用について、などであった。現地の専門家の方には、その一つ一つに丁寧にお答えいただいた。ピュー遺跡における今後の課題はよく整理されており、Visitors Facilityなどについては、すでにプランもあり、今後はこれをコミュニティ・ベースドでゆっくりと施行していくということであった。また、開発が遺産に与える影響についてのモニタリング作業も2015年の世界遺産委員会での報告のために行われている。一方で、Disasters Risk Managementに関しては、まだプランなどはなく、今後、イギリスやイタリアのシステムを参考に進めていきたいということであった。
 全体を通して感じたこととしては、問題意識や課題の抽出は、最近の国際的な議論にもとづいて行われているといった印象であるが、具体的な取組みに関しては、保護管理計画の作成とそれを実際の社会のなかで機能させていくという点では、まだまだこれからであるという印象を受けた。

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 FSAでのディスカッションの後、シュリクセートラ遺跡内のLulinkyaw City-Gateを見学した。ここは、城壁の中でも唯一外側にも小さな壁を有しているという点で他の城壁とは異なっている。扉は常に開いていたと考えられており、堀もそれほど深くないこと、パゴダが城壁の外側に位置しているということからも、外敵が少なく、当時のピュー王朝が強固な国として存在していたと考えられる。城壁は、外敵の脅威に備えるためというよりも、宗教的なものとしての役割があったとも推測されている。また、この土地では鉄鉱石が採れることもあり、近くには製鉄所の遺跡が見つかっている。決まった方向から吹くモンスーンなどの自然風を製鉄に利用するために、高台に製鉄所を作ったのではないかと考えられている。このようなピュー遺跡における自然利用と関連していた古代産業としては、鉄や塩、レンガ製造などがあるが、これらについてはICOMOSからも関連性に関して調査・研究を行うよう指摘されており、今後研究が進められるとみられている。

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 ピュー遺跡に関しては、その価値の存在は認められるものの、それらが研究によって十分に整理されていない部分が多い。世界遺産登録に関しても、1年で申請の準備をしたということや、本来のICOMOSの事前勧告は登録延期であったという事実もある。そのために、保護管理や地域住民への浸透といった部分ではまだまだ多くの課題を残すが、ミャンマー初の世界遺産ということもあり、ピューの事例をきっかけに様々な保護活動が行われていく可能性や、国際的にも課題となっている包括的な遺産保護の取組みなどが行われるサイトになっていく可能性など、多くの可能性を秘めているサイトであると感じた。

福田藍

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建築遺産演習 in ミャンマー(その2)

〈7月23日〉
ミャンマー初の世界遺産として2014年に登録された「Pyu Ancient Cities」の遺跡群。ピュー遺跡としてよく知られているのは、シュリクセートラ(Sri ksetra)、ベイタノー(Beikthano)、ハリンヂー(Hakin)で、今回世界遺産に登録されたのもこの3遺跡である。今回の演習では、3遺跡のうちシュリクセートラとベイタノーを見学した。

 7月23日早朝、シュリクセートラ遺跡の北西9kmにあるピィー(Pyay)という都市に向けてヤンゴンを出発した。ピィーまでは、ヤンゴンからバスで6時間かかるが、道はでこぼこでなかなかハードな移動であった。移動手段の問題もあってか、ピィーは今回の演習で訪れたヤンゴンやバガンといった都市に比べると観光客が圧倒的に少ない印象を受けた。世界遺産登録を受けて、今後観光客が増えることが予想されるものの、移動手段や時間距離を考えると短期間で著しく急増する可能性は低いのかもしれない。しかし、ミャンマーにおける最大都市ヤンゴンと屈指の観光地であるバガンの中間地点に位置することもあり、ツアーや観光アピールが充実すれば、今後観光客にとって魅力的な土地となっていくことは間違いないだろう。いずれにせよ、今後観光客が増えることは確実であり、遺産の保護管理においても、観光による遺産や地域社会へのインパクトについて十分に考えていく必要性を感じた。
 
 ピィーに到着し、はじめに向かったのはField School of Archaeology(FSA)である。FSAは考古学を専門とする学校で、イタリア政府の協力援助等も受け,大学を卒業した若手専門家がピュー遺跡において実際に発掘調査を仕事として行いながら、学校で考古学について学んでいる。FSAの関係者である考古の専門家やピュー遺跡の世界遺産登録担当者の方々から、ピュー遺跡の概要、世界遺産登録やマネジメントの課題についてお話をうかがうことができた。ピュー遺跡は、シュリクセートラ、ベイタノー、ハリンヂーの3遺跡から成るシリアルノミネーションとして世界遺産に登録され、これらの地域は約600km離れている。そのこともピュー遺跡のマネジメントの難しさや課題となっているということであった。

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 ピュー遺跡についてお話をうかがった後、博物館へ案内していただいた。博物館では、出土したレリーフや金製品、ビーズや銀貨などの遺物がパネルとともに展示されていた。また、博物館の本館のそばにある建物には、記録や展示計画がまだ行われていない遺物が安置されていた。これらも今後、記録作業を経て展示計画のもと公開していく予定ではあるが、考古学や博物館学について専門知識を持つ人材の不足や予算不足などもあって、なかなか進んでいないということであった。

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 博物館を案内していただいた後は、シュリクセートラ遺跡内にあるPayahtaung Templeを見学した。この遺跡のすぐ外側では、地元住民による伝統的な方法での農業が行われている。これに関して、「伝統の保存」と「伝統的な保存」という説明をいただいた。つまり、遺跡を区切る壁を新たに建設することもできるが、ここでは伝統的な方法にもとづいた農業の生垣によって、伝統(遺跡)の保護を試みているということであった。

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 FSAでのレクチャーと遺跡見学を通して、現地の専門家の方のお話のなかから、地域住民や地域社会の発展と結びついた遺跡の保護やマネジメントを目指す姿勢が強く感じられた。実際に地域住民が遺産保護や観光管理のシステムのなかで活躍できる可能性はおおいにあり、それらのマネジメントの必要性を感じた。一方で、“地域住民や社会の発展と結びついた遺産の保護管理”と言葉で言うのは簡単だが、実際にすすめていくにはお金も時間もかかる作業であり、その方法も確立していない状況で、課題も多い。しかし、遺産保護がはじまったばかりのミャンマーにおいて、このような理念を掲げて保護を進めていこうとすることは、とても意味のあることではないだろうか。また、発掘調査後の遺構や遺物の調査や管理、活用といった面でも、見学させていただいた博物館では、今出来る精一杯の方法で管理を行っているものの、専門的知識を持った人材不足や資金不足などにより、そのマネジメントは十分とは言えず、今後のマネジメントの可能性ならびに国際協力の可能性も感じた。

福田藍

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建築遺産演習 in ミャンマー(その1)

7月21日より30日にかけて世界遺産専攻修士1年生を対象とした建築遺産演習をミャンマーにて行いました。
ミャンマーにおける文化遺産の研究や保存管理について,ミャンマー文化省の専門家他からの案内をいただきつつ,ヤンゴン,ピュー遺跡,バガン遺跡を巡りました。
これより数回にわたり,学生の日誌を通じて,演習の様子を紹介します。


〈7月22日〉
今回の建築遺産演習初日は、ミャンマーの中心的な都市であるヤンゴンにてシュエダゴンパゴダやスーレーパゴダといった寺院見学や、ヤンゴン近代建築の見学、またミャンマーJICA事務所の方々にミャンマーでの活動をお伺いするなど、大変濃い初日を過ごすことができました。
最初に、ヤンゴンの観光としては多くの人が足を運ぶであろうシュエダゴンパゴダに向かいました。到着してはじめに目を引いたのは、大きな門と入り口からストゥーパがある中心とをつなぐ緑の屋根の回廊です。ストゥーパのある階まで上るのにエレベーターを使用して上ったのもすごく印象的でした。(このことからもいかに本寺院が大規模であることかも想像できるかと思います)

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ミャンマーにおいては多くの寺院では裸足であることが決められていることから、私達も入り口から裸足で参拝しました。平日の午前であるにも関わらず、老若男女問わず多くの地元の人々が参拝に来ていました。それと同時に、ブラシやバケツを持った方々が床を磨いているのも印象的でした。(信仰心によるものであるのか、業務としての掃除であったのかをアヤさんに聞けばよかったと後悔しております)
シュエダゴンパゴダを中心として、一週間の曜日別の小さな仏塔がその周囲を囲んでおり、ミャンマーの人達は誕生日から曜日を計算して(スマートフォンに専用のアプリ有)各自の曜日を参拝していたのはとても興味深かったです。各曜日にはそのシンボルの動物があり、日本でいう干支占いのような印象を受けました。

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また、パゴダ内には子沢山にゆかりのある仏様や薬の仏様、またイギリスの支配下にあった際にイギリス兵が盗もうとしたが川に落ち、その後ミャンマーの人によってパゴダに納められた、という鐘(マハーガンダの鐘)が奉られておりました。
昔、本シュエダゴンパゴダには王や王妃が自身の体重分の金を納めた、という話がありましたが今日に至っても金箔を納めたり、また花や果物といったお供え物を持って参拝する人々、熱心に祈りをささげる人々を見ると、ミャンマーにおける仏教に対する深い信仰は今日においても引き継がれているなど感じました。

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お昼はアヤさんに案内して頂き、初めてのミャンマー料理を楽しみました。辛いものもありましたが、みんなでおいしく頂くことができました。

 午後はヤンゴンヘリテージトラストの方にヤンゴン市内の近代建築(植民地時代にイギリスなどによって建てられた建築物)の案内をして頂きました。植民地時代の面影が残る建物、またキリスト教やヒンドゥー教の寺院などの多様な建築が残り、一時期は東南アジアで最も多様かつ東西の文化が反映された都市であったといわれる一方で、長年における軍事政権の下これらの建築物の多くは注目を浴びることなく、適切な保存もされず保全状況としては危機に瀕しています。2011年以降、少しずつ民主化や経済改革が進められている一方で、急な都市計画・発展によってこれら近代建築は新たな危機に直面しています。この様な背景から、2012年にヤンゴンヘリテージトラストが結成され現在は10数名の職員が働いており、ミャンマー政府と連携して都市計画や政策、法整備に関する提言を行っているとのことです。ミャンマーにおいては現在都市計画法などもなく、一からの取組みであり、現在は建物の目録などを行っている最中とのことでした。ミャンマーの一般市民の方々の意識としてこの様な建築物に対する意識はどのようなものかと質問したところ、2011年以降の急な民主化・経済改革が行われた今は、多くの人がシンガポールやタイといったアセアンの優等生組(経済発展が行われて豊かな国)に追いつきたいという考えが強く、都市化を計りたいこと、また保全するよりも新しくコンクリートの建物を建てるほうが安いということなどから、現存している建物への意識は低いとのことでした。ガイドツアーは1時間半ほどでしたが、町を歩きながら建物に関して様々な説明を聞くことができて有意義でした。

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続いて向かったのはスーレーパゴダというヤンゴン市内(シティホール近く)のパゴダの見学に行きました。午前中のシュレダゴンパゴダよりは小規模ではありましたが、それでも参拝に来ている方は多かったです。こちらもシュエダゴン同様に中心のストゥーパがあり、その周囲を曜日別で小さなストゥーパが囲んでいました。本パゴダで印象に残ったのは金箔を供えた際に、小さな船みたいなものに乗せて運んだことです。


 初日の最後は、ミャンマーのJICA事務所にて現在の日本とミャンマーとの協力についてお話をお伺いすることができました。我が国の協力の方針としては、大きく「国民の生活向上・人材育成や制度整備・持続的経済成長」という3点からインフラ整備や人材育成を中心として多岐に渡る支援を行っていることを知ることができました。私達の事前学習で学んだパガンでの地域観光開発もJICAの観光分野としての協力事業であり、シニアによるボランティア事業として文化財保護についての取組みをヤンゴン国立博物館でも行っていることから、今後も二カ国間での文化ないし文化遺産や観光面での継続かつ積極的な協力が期待できるのではないかと思います。

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初日の最後として、在ミャンマー大使館の松岡さん・新倉さんと供に夕食をご一緒しながら、大使館でのお仕事やミャンマーについて色々なお話を伺いました。

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振り返ってみると、初日にして寺院やヤンゴン市内の見学など大変充実した1日であったと感じました。

平田里沙

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