下田 ‐ 建築史研究室

筑波大学 世界遺産専攻 下田一太研究室のブログです

インドネシア ニアス島の村落群調査

インドネシア,スマトラ島の西にあるニアスという小島の伝統的民家群の調査が9月16日より22日にかけて行われました。調査代表である筑波大学の上北恭史先生をはじめとして,建築史,建築構造,環境デザイン等の先生や学生約10名のメンバーで実施されました。

ニアス島は南北約100kmの大きさですが,北部・中部・南部にそれぞれ特徴的な村落が分布しています。中でも今回はまとまった集落が残されている南部の村落を訪れました。その中でも最も規模が大きいバヴォマタルオ村が調査の主対象です。

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T字型の大通りに面して多数の伝統家屋が保存されていますが,中でも村の中心に位置する首長の家〈オモセブア〉は規模・装飾性の上で圧巻です。全高は約23mにもおよび,長さ4mの密集した太い束柱が巨大な壁体と屋根を持ち上げています。もともと,インドネシアの伝統家屋は船の構造や船大工の影響が残されていると考えられるものがありますが,まさにこの家屋を目前にすると巨艦に呑まれるような迫力です。

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家屋の前には多数の平石や石柱の巨石記念物が置かれています。これらの巨石は祖先の行った祭宴の記念に置かれたもので,家屋の格を示すと考えられています。かつてこれらの村落には厳格な階級制がありましたが,貴族層の家屋にとっては特に重要な家系の威信を示すものであったようです。

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室内には天井が張られておらず,床上から棟材まで約19mの小屋裏は悠遠の空間を感じます。この薄暗い空間には祖先神が漂っているとも考えられています。特徴的なファサードに面した張り出し窓の室内側は長い腰掛椅子になっていて,光と風が抜ける心地よい空間です。屋根の一部を持ち上げる特徴的な窓もまた室内の奥まで光を届けます。
室内の柱や壁体には精緻な装飾が施されていますが,西洋的なモチーフも混ざっており,これらの家屋が建てられて当時にオランダの影響が既に色濃かったことを示しています。

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通り沿いにはオモセブアと同型ながらも規模を小さくした民家〈オモハダ〉が立ち並び,生活感が家屋からじわりとはみ出てきます。暑い日中には住民は室内でじっと息をひそめながら,窓から外をうかがっていますが,朝夕の涼しい時間には通りに出てきて村全体が賑やかになります。

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オモセブアの前には石造の跳び箱があり,本来は成人儀礼として高さ2m以上もある跳躍の儀式が行われていました。目の前に立つと見上げる高さで,踏み石があるとはいうものの,これを飛び越えるためには相当な訓練が必要であることが容易に想像されます。跳躍補助の器具など当然ない中で,これを初めて飛び越えた瞬間は,自他ともに一人前の成人と認めるに十分以上の達成感であることでしょう。

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子供たちは小さい頃より遊びの中で少しずつ鍛錬を積み重ね,いつかくる大きな壁を目前とする日に一歩ずつ近づいていきます。現在ではこの跳躍が儀礼の一部として生きているのかどうか定かではありませんが,少なくとも一日に数回,観光客への見世物として伝統衣装に身を包んだ青年がパフォーマンスを行なっています。こうした形で独特の文化が伝えられている現実を村民はどのように受け止めているのでしょうか。

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村落は尾根上に長く伸び,急な階段や坂道を登り切った先にあります。周囲10km程の範囲には複数の村落が点在しており,それらは往時,敵対する関係にありました。村落は防衛のためにこうした急斜面の上に築かれ,周囲には木柵が巡らされていたといいます。
観光地化されつつあるいくつかの村では,車ですぐ傍まで寄ることができますが,その他の村は今でも長い坂道を登らなくてはなりません。しかしながら,それらの村にも道路整備が進みつつあります。外部世界の波は強くなるばかりです。

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村落内の家屋は徐々に新たな材料に改変され,当初の景観は失われつつあります。大きなパラボラアンテナ,電柱,バイク,カラフルな広告等が村落内には侵入しています。家屋の使われ方にも変化が進みつつあります。高床の床下を掘り込んで居住スペースや商店を増築した例も多数に上ります。

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こうした変化の中で村をどのようにして保存したらよいのでしょうか。住民は新しい生活様式を望んでいます。私たちのような部外者が伝統的な様式の保存を強いることができるのかどうか。

威信材を家の前に並べるこの村民達は,彼らの生活様式に対する誇りを一部にはまだ持ち,その独自の生活様式を内側からも理解していますが,全面的にそうした古式の生活を保持したいわけではありません。
どこで折り合いをつけて,村と家屋の形式と彼らの生活を保存すればよいのか。もしかしたら,どこまで保存すべきか,ではなくて,住民がどうやって新しい生活文化を導入するか,という方向で考える必要があるのかもしれません。(下田)

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釈尊出城の場面 ギメ美術館

パリでの学会ついでにギメ東洋美術館を訪れました。東南アジアの造形芸術の研究をする上では,何度来ても新たな発見のある美術館です。

今回はボロブドゥールから来たこともあって,仏教美術に目がとまります。特に仏伝図の各場面が中国,インド,西アジア等,様々なサイトで刻まれた経過が館内に点在している様子に気づかされました。

先のブログで紹介した仏伝図の一つのクライマックス「出城の場面」ですが,他地域の仏教史蹟においても多彩な構成で表現されています。
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(インド アマラヴァティ様式 2世紀)

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(パキスタン ガンダーラ 1~3世紀)

2世紀インドでは,まだ仏陀の姿は彫刻されていませんが,差し掛けられた傘蓋がその存在を確実に表現しています。
ガンダーラの正面から乗馬する姿をとらえたこの場面,仏陀の出城にかける強い意志が正面から鋭く私たちに訴えかける迫力ある作品です。(下田)


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国際地盤工学会

9月2日より6日にかけてパリの国際会議場にて第18回国際地盤工学会が開催されました。4年に一度の学会で,今回は世界各国より1000名以上が参加,日本からは150名ほどが出席しています。
第18回国際地盤工学会ウェブサイト
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学会の分科会に「遺産のための地盤工学(TC301)」と「アジア地区の遺産のための地盤工学(ATC19)」が設けられており,多様な研究事例が報告されました。
遺産の保存修復においては,地面上部に残された建物を対象として建築学からのアプローチが一般的ではありますが,これを支える基礎にも重要な遺跡の歴史的・技術的オーセンティシティーがあることが強く主張される各発表です。遺跡周辺の環境を考える上でも,遺構から連続的に周囲に広がる地盤はたいへん重要な要素となっています。

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発表者に対してセッションの時間が限られていることもあり,この学会内では十分な議論ができないため,後日9月6日にはATC19のメンバーにてユネスコ本部内にて会議が開かれました。ATC19の代表はアンコール遺跡,ボロブドゥール遺跡でもお世話になっている岩崎良規先生です。

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朝9時から夕方6時までにわたり,世界各地の遺産にまつわる地盤工学による研究事例が報告・議論されました。
地盤工学による単一アプローチとはいうものの,学問分野内のさらに多様な専門性にもとづく学際的な議論が展開されたのが印象的です。こうした地盤工学に立脚した遺跡保存の視点が今後ますます重要性を高めていくことを感じる多様な議論でした。(下田)

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マジャパイト王国の寺院調査

ジョグジャカルタからソロまで足を伸ばしてマジャパイト王国の寺院を訪れました。マジャパイト王国は14世紀半ばに最盛期を迎え,その版図は最大時で西部を除くジャワ島全域,スマトラ島全域,そしてマレー半島南部にも至ったといわれています。中国では元朝治下にあって当地の香料の消費拡大がマジャパイトの発展を促した一因であったと考えられています。

ラウ山中に建つChandi Sukuh(スクー寺院)とChandi Ceto(チェト寺院)を訪れましたが,前者は標高910m,後者は1496mという高地で,ソロの町とは打って変わって肌寒いほどの温度差です。

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(チャンディ・スクー寺院)

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(チャンディ・チェト寺院)


両寺院ともにあたりは深い霧に覆われ,神秘的な雰囲気で静まり返っており,ここが聖地であることが深々と伝わってきます。これまでに書籍で見た寺院の写真もまた霧にかかっているもの多く,ずいぶん良いタイミングで撮影したものだと思いましたが,ここでは日常的に霧がかかっているのかもしれません。

いずれも15世紀に建立された寺院で,マジャパイト王国が最盛期を迎えた時期よりも後の時代のものです。この王国を最後にジャワ島はイスラム教化されるため,これらの遺構はジャワ島で最後のヒンドゥー教寺院となります。

双方ともに寺院は山の傾斜地に造営されており,参拝方向に長い伽藍配置の最奥に主神殿が配されます。建物への彫刻装飾や丸彫り像はボロブドゥールやプランバナンと比較すれは随分と稚拙なもので,土着化の色濃い表現といえるかもしれません。

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(チャンディ・スクー寺院内浮彫)

特にチェト寺院には力強い表現の丸彫りの石彫が多数残されており,ヒンドゥー教の後継芸術とは異なった流れをくむものと思われます。こうした彫像の中には参道上に配置されているものもありますが,どこまで当初の配置を再現できているのかどうかは定かではありません。おそらく発見された後に,適当な箇所に配置されたものでこれらの彫像(神像?)の構成を考察することは難しいものと思われます。

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(チャンディ・チェト寺院内石彫)

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(同上の彫像を写真測量より三次元化してみました。使用したのはVisual SfMとMeshLab,いずれもフリーソフトです。)

ボロブドゥール寺院の建築形式は,インド起源の仏教寺院やヒンドゥー教寺院の中でも極めて独特なもので,ロロ・ジョングランのように直系のインド建築の流れを受容しているものに対して,これがどのような背景のもとに構想・計画されたのか大きな謎ですが,山岳信仰や精霊信仰と外来宗教との独自の融合にもとづくものであったと考えて良いでしょう。そうした土着的・地域的な構成原理が受容から時間を経て,外来の仏教・ヒンドゥー教芸術が国風化されていく中で再び色濃く表れたものと捉えることも可能です。

チェト寺院の最奥神殿の背後には山深い静謐な空気が漂い,この寺院が神の住処というよりも山の神に対する参拝の場として機能していた様子が想像され,こうした土着的信仰への回帰の過程が窺われます。

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クメール寺院でも自然の傾斜地を利用して長い軸線を有する「縦深型」と区分される寺院が多くありますが,こうした山岳寺院が堂山型いわゆるピラミッド型の寺院の原型としてあるように思われます。しかしながら,アンコールの版図内には堂山型が形成される前段階の縦深型長軸寺院はほとんど認められません。その前段階がもしかしたらジャワにあるのかもしれません。来月には仏教・ヒンドゥー教と時代的に併存していたものと考えられている西ジャワの山岳石造寺院の調査を行う予定ですが,こうした遺構に堂山型寺院の原型を求めることができればと思っています。

また,時代は遡りますがプランバナン遺跡群の南方の山の頂部にはシヴァ教寺院であるチャンディ・イジョという遺構が残されています。中部ジャワではほとんどの仏教・ヒンドゥー教寺院が平地に造営されている中で異例ですが,ここにもやはり傾斜を利用した縦深型寺院の構想が認められ,数は限られているものの土着的信仰と外来宗教との融和・折衷が具現されたように思われます。この寺院は今回初めて訪れましたが,ジャワの寺院の多様性を考える上で重要なヒントを与えてくれたように思います。

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(チャンディ・イジョ寺院)

マジャパイト寺院の造営されたラウ山の複雑な傾斜地での畑作景色が深く印象に残る小旅行でした。(下田)

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立正大学仏教学部のインドネシア海外研修でのご案内

ボロブドゥールとプランバナン遺跡群を訪問された立正大学仏教学部の海外研修「南海の宗教と美術ツアー」でのご案内をしました。研修ツアーの団長は仏教美術を専門とされている安田治樹教授です。

ボロブドゥール寺院,パオン寺院,ムンドゥ寺院とロロ・ジョングラン寺院,セウ寺院,そしてプラオサン寺院を巡りました。

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仏教学を専門とされている方々約30名のツアーでしたため,ボロブドゥールの仏伝図等できるだけ寺院の浮彫物語や宗教的神格の配置について説明するよう努めました。

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訪問した各寺院の建立はほぼ同時期になりますが,異なる宗教を信仰したシャイレンドラ朝とマタラム朝の寺院が混在しています。仏教とヒンドゥー教は深く相互に乗り入れておりインドとは異なる独自の宗教観を呈しています。各宗教に対する寛容性は,現在に継承される旧王朝の国王と王妃とがイスラム教徒とキリスト教徒であったりする事例があるように現在のインドネシアにも継承されています。

主に,ボロブドゥールでは仏伝図を,ロロ・ジョングランではラーマヤナ物語について解説しましたが,これらをまとまって見学することで,それらの表現上の差異がより明瞭に見えるように思います。一般的に言われているようにボロブドゥールでは静謐な表現であるのに対して,ロロ・ジョングランでは動的でユニークな表現をとり,これら寺院が政治的統治装置としての民衆感化に対して果たした役割や姿勢の違いが感じられるようです。

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(ロロ・ジョングラン ラーマーヤナ物語:ラーマとラーバナの決戦図)

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(ボロブドゥール 釈尊の出城 この場面は第一回廊仏伝図の中でも最もダイナミックな構成です)

ツアーは今後カンボジアへ移動しますが,ジャワに残された寺院とクメールのそれらとを短期間にまとめて見学することで,両者の相違も浮き立って見られることでしょう。ジャワ建築とそこに表現された宗教美術は,インドから導入された教義に極めて忠実で,それらを丁寧に,また実直に表現することに努めたように思われます。祠堂の配置構成や神像の配置,浮彫の連続性等にそれらの特性はよく示されているでしょう。
一方,クメール建築はジャワ建築に比べて長い期間にわたって造営が続けられ,圧倒的に多数の建築が建立されたこともあってか,インドの宗教的原型から変則的な構成をとることが特徴のように思われます。これは参拝者に対して宗教的モチーフへの理解の幅を広くとる自由さを許容しているためかもしれませんが,あるいは私たちが知りうる教義からの変調がクメールでは大きいために,我々の理解がついていっていないに過ぎないのかもしれません。

美術史学によるアプローチは,建築史学よりもインドや中国,西アジアなどを含む広域の遺構や遺物を同一の視点で鳥瞰すべく学問水準の高さに達しています。なんとか,建築の空間構成,各部の形式,構造や工法といった視点からも同等の議論ができるよう研究を進展させなくてはならないと感じるばかりです。(下田)

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